« August 2009 | Main

十日間の不思議

Ellery 十日間の不思議(Ten Days' Wonder)
エラリイ・クイーン:著
ハヤカワ・ミステリー文庫 青田勝:訳

 アメリカはニューイングランド地方の架空の町=ライツヴィルは、クイーンお気に入りの事件の舞台です。初出は『災厄の町』、出版時期では本作の後になる『フォックス家の殺人』。その後も20年に渡って存在を主張したミステリー界では有名な町でもあります。

 時代は第2次世界大戦後、対戦前のパリで親しくなったハワードが、10年振りにエラリーのニューヨーク市マンハッタン西87番街のアパート最上階に突然現れる。19日間の記憶喪失と負傷した姿で、その上にハワードの実家のあるライツヴィルに来てくれと依頼される。クイーンにとって奇妙な翻弄される10日間が始まる。

 
 この作品の不思議さは、殺人が最後まで起きないことと登場人物の少なさで、一種舞台の心理劇の様相を呈しています。いつものクイーン刑事父さんも出番がありません。ライツヴィルの街の顔見知りは脇役で光ってますが、終始ヴァン・ホーン家のハワードを含む4人に語らせます。

 現代推理で言えば、本格モノの倒錯トリックの王道を貫いています。アナグラム(文字の並べ替え)や逆転トリックと最後まで緩まないロジックが明快です。
 勿論、ストーリー的には相変わらず「こんなヒトは実際居ないだろ」の架空世界ですが、読み物としては完成形。ダネイとリーの従兄弟作家が、脂の乗り切った時期の作品です。

 さてさてエラリー・クイーン(Ellery Queen)と言えば、バーナビー・ロス名義で、聾者の探偵ドルリー・レーンが活躍する4部作、XYZの悲劇シリーズでも有名。
 僕的には、探偵としての性格の明確なドルリー・レーンの方が好ましい。
 若き日のエラリーはどこか生意気で鼻持ちなら無いし、歳を負う毎に冷静さを売り物にしますが何処か人生に蓮っ葉で、性格的にお坊ちゃまで終わっています。
 アガサ・クリスティが創出した稀代の探偵、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot)やミス・マープル(Miss Jane Marple)の実直さに及ぶべきもありません。

 刑事物ではない探偵で言えば、G・K・チェスタートンのブラウン神父、ディクスン・カーのアンリ・バンコラン、ドロシー・L・セイヤーズのピーター・ウィムジイ卿などと海外ミステリーでは伝説のヒーローですが、なかなか存在感を発揮するのが難しいようです。
 日本の作家達の方が、探偵自身の性格描写は優れていると思います。金田一耕助も御手洗潔も犯人より際立って個性的です。

 そもそも私立探偵の活躍という設定自体に無理があるわけで、事件への介入を毎回巧みに工夫してるつもりが、日常的にトリック殺人が起こりうる理由も無い。そこは読み物として、又は水戸黄門さまのお約束事として軽く受け流す度量が、読者には必要なのです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

太宰生誕100年

507dazai  太宰を嫌う人の理由に、「品行が悪い」「女々しい」「だらしない」と言った負のイメージが多いのは仕方ないことか? それでも熱狂的なファンはどの世代にも居る様で、6月19日 誕生日であり入水自殺体発見日には桜桃忌(おうとうき)として、墓のある三鷹の禅林寺は大変な賑わいのようです。期せずして、向かいにある墓の主:森鴎外も鼻白む思いだろうと…。

 太宰 治(1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日)、本名は津島修治。青森県北津軽郡の金木村生まれ。生誕100年は肯けるが、38歳で早世していたことに驚いた。あの老け顔や、処女短編集『晩年』ってのも印象を狂わしている。思えば芥川が35歳で服毒自殺、宮沢賢治が36歳で急性肺炎で亡くなってるから早世という歳ではないのだ。

 今で言う地方素封家出の甘えん坊の放蕩息子は、文学的には非常に老成していたわけです。放蕩息子の類に、山口の中原中也や新潟の坂口安吾がその時代を交えて存在する。僕の中では「大正デカダン」=無頼と退廃とがアヴァンギャルドへと向かう、純粋な文学回帰の時代でとても好きなのだ。

 
 太宰人気を映して、今年は相次いで公開される映画化が3作。
 その内の「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」がモントリオール映画祭で監督賞を受賞。根岸吉太郎は「遠雷」=立松和平原作で認められた監督。小説の映画化は得意の様で、太宰ものも若い頃の手掛けている。白髪の良く似合う老大家になってきた。おめでとうございました。

 その他に、佐藤江梨子(さとえり)主演の「斜陽」と芥川賞作家 川上未映子が女優デビューの「パンドラの匣」。どれも個性的で面白そう。2009太宰3部作でDVD化されると嬉しいかも…。

 太宰を深読みすると、たまに船酔いと同じ気分を味わう。文脈の流暢さはハッキリ漱石を超えてると思うが、その自虐さには辟易してしまう。ウンザリしながらも引き込まれて、決めの文句で絶句して泪している。これがいけない。太宰は癖になる。
 主な作品は読んでしまったので、後は全集の書簡集を漁るしかあるまい。

 謂わずと知れた太宰の娘、津島佑子:本名は里子(さとこ)もすでに日本を代表する小説家である。分筆に世界に親の七光りもないだろうし、女流として本格の純文学者一筋である。歳を負うごとに父親の面影が、顔に出てくるのは哀しいことかもしれない。

 太宰は人生の大半を、薬物中毒症状で苦しんだ。慢性的な躁鬱を繰り返し、その合間にモノにした作品にも濃い影を見ることができる。精神科の主治医に「サイコパス」とまで言われ、結果「人間失格」などと直截な題名の小説を、赤面勝ちに書き上げた。挙句の果ては冗談まじりの狂言心中が、3度目の正直になった哀れさの追い討ちであった。

 遺作になった連載中の「如是我聞」には、口惜しい男の女々しいほどの文学への遺恨が満ちている。愛しくてイトヲシクテ、泣かずに読めるか!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

童夢

Dohme  大友を一言で言いあらわすことは、とてもできない。

 大友 克洋(おおとも かつひろ、1954年4月14日 - )漫画家、アニメ映画監督。宮城県出身。1973年『漫画アクション』にてデビュー。均質な細線で緻密に描かれた背景画に、決して美形と言えない等身大の主人公たち。それまでのデフォルメ劇画の域を逸脱したコマ割りと構成力。1979年、初の単行本となる自選作品集『ショートピース』で、戦後生まれの能天気な青春を切なく描ききった、この同世代の異色の漫画家は、あっと言う間に漫画界を去り、アニメ映画監督の世界に飛び込んでしまった。

 2007年の実写映画『蟲師』で他人の原作漫画を、オダギリジョー主役で監督したのには驚いた。前作『スチームボーイ』もメジャーな放映権を獲得できず、アニメ界でもカリスマ化されたゆえの異端児が、すこし壁を感じているのかもしれない。ただ青年期を映画漬けで過ごした経験から、彼が実写映画に魅力を感じるのは当然の成り行きでもある。

 フランスの漫画界にジャン・ジロー(Jean Giraud、1938年5月8日 - )というアニメ界でも有名な人がいるのを最近になって知った。

 宮﨑 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )との交友もあるらしい。ペンネーム:メビウス (Moebius)その人の影響は、現在の若き漫画家たちにも多大にあるようだ。『ピンポン』の松本大洋あたりの筆致はまさにメビウスそのものである。 大友自身もファンであることを明言し、逆にメビウスからは大友の『さよならにっぽん』に賛辞を寄せている。

 大友の映画界での歩みを見るに付け、メビウスを志していることを痛切に感じる。残念なのは今、世界を席巻している日本アニメ・オタク系とは完全に一線を引いた彼の作風が、あくまで芸術的な短編アニメのモードでしか理解を得られないことだ。代わりに作品「AKIRA」は一人歩きをはじめ、ハリウッドで映画化などと野卑な扱いを受けつつある。

 経歴を見ると歴然とするのだが、大友は独学の漫画家である。当時は当たり前のことなのに、近年の作家たちは明らかに著名な美術系の大学を出た基礎のしっかりした人が多いようだ。それは商ベースとしての漫画が社会的に受け入れられた証しには違いない。でも一抹の寂しさも感じるのは、僕らの時代の漫画はひとつの自己表現の手段であり、あきらかに文筆業の延長でもあったと思うからだ。

 ギター片手に歌を唄うように、筆一本、墨十一滴で世界観を表わすことに魅力を感じた世代があったのだ。 
 大友は今でも、そんな一面アウトローな時代を引き摺っている数少ない作家だと信じている。彼の画に何らかの批判精神があるのは明らかなのだ。
 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« August 2009 | Main