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ヴィヴィッド・テクノロジー

Vividbook ヴィヴィッド・テクノロジー--->建築を触発する構造デザイン  学芸出版社刊 (2007/11)

 たまには、こちらのブログでも本職のはずの建築話をしよう。

 昨今の建築デザイン界がとても面白いことになっているのは、70年代生れの若手建築家たちの快走に加えて、それを確実に根っこで支えている若き構造設計家が沢山育っていることが起因している。

 デザインに関するアイデアやテキストは勿論大事だけど、それを実現可能にするテクニカルな論理の手法を提示しているのは、新しい船に乗る新しい船頭としての彼らなのだ。

 僕らの世代が建築を習った時代は、(彼らの生れた時代と何故か重なる)構造計算はまだ手計算=電卓と手書きリストの世界だった。コンピューターと言えば数十㎡の室温管理されたお部屋に鎮座するオフコンレベルの巨大なロッカーの群でありました。

 確かに理論としてのベクトル解析手法=地震波振動も習ったが、薄靄のなかの記憶でしかない。そんな戯言は雲の上の仙人の所業と、きっと教師も思っていたはず。

 さて今この世代にとって、ベクトル解析なんぞは赤子の手をひねる程度の入門であって、複雑な数百に及ぶ公式すら飛び越えて、感覚的な構造センスと高速PCのプログラムを簡単に乗りこなすテクニックを併せ持つ、バケモノと化したのだ。

 正直、建築に関する基礎ベースのところで取り残された感のあるわれわれ世代としては、突拍子もない70年代生まれの建築家の神をも恐れぬ数々の所業は、反面うらやましくもあるのだ。

 暇を持て余した挙句、最新構造解析のお勉強を始めてはいるが、さっぱり暗中模索に近い。限界耐力、変位応答計算、バネ係数にFEN解析などと、奥歯にモノが挟まったような言葉だけの浮遊に立ち向かうしかない。

 それもこれも時代遅れのD値法に犯された脳髄が、悲鳴を上げながらまさに断末魔の様相を呈しているのだと勝手に理解。多分、われわれの思考の範囲は不自由なルネッサンス以前の宗教的呪縛のように頑なであるのだ。それをまた恋おしむようでは、お先真っ暗である。

 テクノロジーとは、人知の予測をいつも超えるものらしい。而して、そこに愛はあるのか? 田舎の椋鳥ほどの鳴き声でしかない。

 

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