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夏の高校野球

 雨で2日間続けてノーゲームになった広島・如水館VS高知の試合。さすがに3日目は第4試合に廻されて、先ほど決着を見た。両試合とも、先攻して点を取れていた如水館のほぼ完敗。心身共に疲れきっただろう両校の選手達に、拍手。

 それにしてももう少し早めの、判断が出来ないのだろうか高野連。3日続けて甲子園で試合が出来ると喜ぶだろうと思っているんだろうか? 雨の試合で泥まみれになって、それが徒労になることの疲労感を、エアコンの効いた部屋の中で見ている老人達に理解できるのか?

 僕らの時代の甲子園は、広島の代表がよく頑張ってくれて毎年TVに釘付けだった。

 1973年の春夏と言えば、作新学園の怪物:江川卓をやっつけた広島商業の精鋭の年。「あのね、あのね」で超ブレイクいた達川光男捕手と(つくだ)投手のバッテリーに、不遇のアマチュア名選手:金光興二(現:法政大学監督)や後に自らも監督して広商を優勝校に導く川本幸生と言った面々。1955年生まれ、学年にして1級上の世代であった。

 1975年の1級下では、県立広島工業高校の小林 誠二投手が頑張った。広島カープに鳴り物入りで入団したが、あまりパッとしなかった。それでもサイドスローでカムバック、1984年のストッパーとして優勝・胴上げ投手になった。今はコメンテーターとして活躍している。

 次の年は、広島カープのショート:山崎 隆造が率いた崇徳高校の活躍。風邪ばっかりひいてファンを心配させた黒田 真二投手(元・ヤクルト)に、小川や永田が大活躍。春の大会で初出場ながら初優勝の快挙であった。捕手の應武篤良はその後、アマチュア野球界で1988年のソウルオリンピック野球日本代表に、現在は早稲田大学の監督としてハンカチ王子:斉藤祐樹を擁して、法政大学の金光監督と戦っている。

 なんといっても広商野球の祖とも言える、迫田穆成監督。名称も今年70歳の古希。無名の如水館を全国区にした功績はみごと。広商の精神野球を県内に広めている。

 ここの頃の高校野球は、金属バットへの変換期であって、投高打低の感は否めないが、地元出身の選手たちが故郷を代表して戦っていた。今は当たり前のように野球留学や選手集めが行われるし、高野連の高圧的な姿勢も鼻に着く。プロとアマの境界があいまいになるのは日本の野球の強化に欠かせないものとも思えるけど、少しガテンがいかないのであります。

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