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俳句入門-芭蕉から

 俳句の祖といえば、松尾 芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年)が筆頭になる。実のところは、芭蕉の時代ではまだ室町時代から庶民化していた連歌遊びの発句という認識しかなかったようだ。要は連綿と続く挨拶句のなかの抜粋と考えても良い。かの『奥の細道』にせよ紀行文としての体裁の中での俳諧発句なのだ。

 江戸時代には芭蕉以前にも相当数の俳諧師がいて、松永貞徳の一門による「貞門派」、西山宗因を筆頭にした「談林派」と呼ばれた。芭蕉一門ものちに「蕉門」と称される。芭蕉没後しばらくは付け句の技巧を競う川柳を中心に雑俳が栄えたが、中興の祖である与謝蕪村らによってふたたび活気を取り戻した。江戸末期には、小林一茶の活躍も見られた。
 この人たちの生計は、点者(てんじゃ)としての、連歌俳諧など評点しその優劣を判定する者報酬「点料」が主だったようで、あまり裕福ではなく諸国遊行の旅も縁者=後援者頼みの巡業が生活の糧だったようだ。

 それでも芭蕉や蕪村、一茶と並ぶ俳諧3人衆の後世に残した珠玉の文学は健在である。今もなお難解な文に潜む内実の解読にいそしむ人や、彼らの句をオマージュとした句が沢山詠まれている。芭蕉や蕪村には、俳句に対する技法や精神を語った部分も高く評価される。その他に芭蕉には伊賀の生まれの忍者説があって、まことしやかに語られて面白い。

 彼らを世に知らしめたのは、明治の文豪:正岡子規らの研究だった。俳句雑誌「ホトトギス」の発刊を背景に、擁立されたホトトギス派を代表する高浜虚子、水原秋桜子、山口誓子らが活躍する。この時代こそ実の、俳句興隆期と言えるのだろう。
 大正・昭和に掛けては、新傾向や自由律に分化が進み百花繚乱の取り留めない時期もあったが、戦後、金子兜太、飯田龍太たちの活躍で再び、庶民の文学としての俳句が活発になる。

 俳句や和歌は文学の入り口とする認識の時代もあったが、現在は逆に老齢に差掛った小説家の自家薬籠中のものとすることの方が多いようだ。

 長い文章をまとめることは勿論、詩などの推敲も体力が要ることなので、そういった傾向は納得できます。言葉の羅列でも形になる俳句ですが、実は種々の約束事や鑑賞のいろはがあるのです。次回はそのテクニックについて。

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圓鍔記念館

Entuba_2   訳有って春先からこっち尾道市・御調町に月1回のペースで住宅の現場検査に通っている。高速を使って矢野から約1時間半程度。広島に住んでいて実は初めての町だったりする。2005年3月28日に尾道市に編入された山谷部の町で、昔は尾道鉄道で結ばれていたらしい。

 圓鍔勝三(えんつば かつぞう)1905年(明治38年)、当時の御調郡河内村出身。16歳で彫刻家を志し京都へ、23歳で上京し澤田政廣に師事、大正末から昭和の戦前にかけて起こった木彫界の新たな運動に加わり、明治以降の失われかけていた日本の木彫をよみがえらせました。圓鍔芸術の特徴は、木彫を主流としながらも様々な素材を使い作品を制作。文化功労者、文化勲章受章、広島県名誉県民。2003年に死去、享年97歳。

 ほぼ死んだ親父と同じ世代を生きた人でした。広島には数々の作品が街に散在しています。広島の新幹線口1階のホールにある「再会」の像は有名? 県立美術館には成熟期の木彫作品が所蔵されてますが、とても好い雰囲気を醸していて絶品です。
 御調町には圓鍔記念館が、中心部の小高い山の上の散策コースに建てられています。

 尾道近郊で言えば、なんと言っても瀬戸田の平山美術館。近年の架橋でしまなみ海道の観光スポットになった瀬戸田島には、古くから西の日光:耕三寺と言うおどろおどろしい地獄絵巻とカラフル彩色で有名なお寺があります。そのすぐ隣の敷地に建つ、この町で生まれ育った現代日本画家の巨匠・平山郁夫画伯の地元ならではの収蔵品を誇る「平山郁夫美術館」。地元をとても愛した人で、数多くの所蔵品を残してくれています。

 尾道と言えば林芙美子「放浪記」や文学のイメージが強いのですが、こうした美術家や囲碁の棋士も輩出しています。昨今は、映画の街という看板や尾道ラーメンも全国区になりました。村上水軍以前からの港町で、明治期からは日立造船からみの鉄鋼・造船の街として栄えました。歴史の文化人達が集った街でもあったのです。

 残念ながらとても狭小な地形の街なので、車社会の現在では非常に住みにくい。のんびり散策するには好いのですが、バリアフリーの老人社会には受け入れがたい街並みです。できれば開発はやめて文化財といて残すべき場所なのかもしれない。

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囲碁の鬼神:藤沢秀行

Syukou  当世で数少ない生きながらの伝説の人物=藤沢秀行が今年5月に亡くなった。83歳と言えば平均的な寿命かもしれないが、この人の破天荒な人生を知る人には壮絶な死と感ずるに余りあるものだった。

 藤沢秀行(ふじさわ しゅうこう)1925年6月14日、横浜生まれ。本名は藤沢保(たもつ)、9歳で日本棋院の院生。三段時に秀行に改名。棋風は豪放磊落であり、厚みの働きを最も良く知ると言われた。ポカ(うっかりミス)で好局を落とすことも多かったが、「異常感覚」とも称される鋭い着想を見せ、「華麗・秀行」とも呼ばれた。「序盤50手までなら日本一」とされ、序盤中盤の局後検討で結論がでない場合は「秀行先生に聞こう」というのが、かつての日本棋院での決まり文句だった。

 盤上での活躍の一方、盤外では酒、ギャンブル、借金、女性関係など破天荒な生活でも有名。癌の手術以前はアルコール依存症の禁断症状と戦いながらの対局を重ねていた。こうした「最後の無頼派」とでも称すべき藤沢の人柄を愛する者は多く、政財界に多くの支持者を抱えるほか、日中韓の若手棋士からも非常に尊敬されている。(Wikipedia)

 「呑む、打つ、買う」の3拍子を地で行った時代錯誤とも言うべきこの無頼派に、周囲の人々は大変な迷惑を被るわけですが、何故か憎めない「愛らしい人」だったのです。
 その様子は、2005年 NHKテレビで「にんげんドキュメント 無頼の遺言~棋士・藤沢秀行と妻モト」に如実に観られます。妻モトさんも凄いお婆ちゃんであることに感激します。
 書家としても個展を開くほど有名なひとで、地元の宮島は厳島神社に書を奉納しているらしい。確かに独学っぽい書風だけど、非常に味のある字を書きます。多分相当な値がつくと思うけど欲しいものです。

 有名な逸話が、棋聖戦六連覇。52歳のときに第1期棋聖戦で初代棋聖位を獲得という快挙。なにしろその頃の棋聖戦は棋士最強決定戦と触れ込みで賞金も最高だったのだ。しかも秀行先生は1年をこの棋聖戦の7番勝負にのみ掛けて、好きな酒を断って鬼の形相で戦ったという。やること為すこと徹頭徹尾、常一を逸したオヤジですが、死する瞬間まで勝負士として明晰な判断が下せた、神が宿ったようなひとでした。

 囲碁界も一気に寂しくなったような気がします。弟子の高尾9段も意気消沈か、本因坊位返り咲きならず。ポカが多いのも師匠譲りか? 応援してるのに哀しい限りです。

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囲碁は面白い?

Syusaku  ケーブルTVの囲碁チャンネルに嵌ってる。そこで、地元の囲碁棋士のお話をひとつ。

 平成の大合併で尾道市に取り込まれた、因縁の島=因島(いんのしま)。それまでは一応誰彼に憚ることなく市制をしいた島だったんです。別名・いんとう出身の有名人、東ちずる、ポルノグラフティ。そして囲碁界の鬼才:本因坊秀策ということになる。

 文政12年5月5日(1829年6月6日)生まれ、1837年(天保8年)に出府して本因坊丈和に入門、俗姓は桑原。幼名は虎次郎。法名は日量。1846年(弘化3年)、井上幻庵因碩と数度の対局を行い、その中の一局は「耳赤の一局(みみあかのいっきょく)」と呼ばれ古今の名局と名高い。1862年(文久2年)、江戸でコレラが大流行し本因坊家内でもコレラ患者が続出した。秀策は秀和が止めるのも聞かず患者の看病に当たり、当人が感染しそのまま34歳で死去した。

 漫画『ヒカルの碁』で平安の天才棋士の霊・藤原佐為が、江戸時代に取り憑いていた棋士として登場。「囲碁ブーム」とともに子供たちにも「囲碁史上最強の人物」として親しまれる。広島県三原市の糸崎神社には、江戸時代に秀策の生涯を記念して建立された石碑が現在も残る。勿論、因島にも近年、記念館が新築されて観光の拠点になりつつある。

 本因坊家に関する薀蓄

 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑に仕えた日蓮宗の僧・日海=本因坊算砂を開祖とする。本因坊算砂は「本能寺の変」にも出てくる歴史上の重要人物。「本因坊」の名は、算砂が住職を務めた寂光寺の塔頭の一つに名に由来する。以降多くの名棋士を輩出し、江戸期を通じて囲碁四家元、将棋方三家の中で絶えず筆頭の地位にあった。道策・丈和・秀和・秀策・秀栄などは、中でも高名である。明治以後にもその権威は受け継がれるが、昭和に入り二十一世本因坊秀哉がその名跡を譲渡、実力制に移行することとなった。

 日本棋院に譲り渡されたことから、1939年。毎日新聞社主催になる選手権制による本因坊戦「本因坊名跡争奪全日本囲棋選手権大手合」が行われることになった。囲碁におけるタイトル制度はこれが始まりである。(コピペもここまで…)

 勿論、囲碁と言うテーブルゲームは三千年の歴史を誇る中国大陸で生まれてます。ただ現在の世界的な流布の源になったルールや作法を整備したのは、日本と言う島国の風土だったのです。と言いながら残念なことに近年の世界選手権に於いては、中国や韓国の若手棋士に大きく負け越しているのが現状ですけど…。

 僕の囲碁遍歴は、小学生の頃まで遡ります。喧嘩囲碁の名士?だったオヤジの薫陶を受けたのですが、あまりにお粗末な教育に反抗して脱落。妙なことにあの頃の能美島は囲碁が盛んな田舎集落でした。

 高専時代に福山の同級生に見込まれて、師弟関係を結んで再挑戦。タバコも酒も仕込まれましたが腕は上がらずヘボ碁と罵られて撃沈。
 就職してアマ4段の上司に、昼休みと就業後に鍛えられました。アマ初段程度とその上司に持ち上げられたのを最後に、碁打ち相手も無く日曜のNHK早碁選手権を観ては家族に後ろ指をさされるままに今を迎えます。
 
 この頃では「ネット囲碁」という対戦ゲームのサイトが沢山あって、暇と金さえあれば碁敵に欠くことは無いらしいのですが、なにせ実力に相当の不安をもつ身なので尻込みしています。「手談」とも称される囲碁のゲームは、やはり碁盤を会して対戦するのがアマチュアの心得だとも思うのです。弱気だなぁ!

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冬のさなかに

Abbey_pen 冬のさなかに―ホームズ2世最初の事件
アビイ・ペン・ベイカー (Abbey Pen Baker)高田 恵子(翻訳)

 困ったことに、シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) は、小説家アーサー・コナン・ドイルが19世紀から20世紀にかけて発表した推理小説の架空の探偵でありますが、相変わらず絶大な人気を誇り、今で言うスピンオフ系やレジェンド系の小説が群雄割拠し、その路の世界では「パスティーシュ」などと、フランス語感でお洒落に称されている模様です。
 庶民感覚で申せば、イギリス制作のNHK海外ドラマの印象が強い。ホームズ役のジェレミー・ブレット(声:露口茂=太陽にほえろの山さん)の神経質も病的なほどの容姿が浮かびます。このドラマのロンドン・ベーカー街の陰湿な画像が、小説本来の衒学性を裏打ちしてる気がします。

 さてさて、アビィ女史の描くホームズ2世は如何に? どちらかと言うとホームズものに関しても謂わば門外漢に近いので、細かい言及はできませんのであしかわず。

 舞台は1920年代のアメリカはニューイングランド。スミス大学の論理学教授:マール・アドラー・ノートンとその教科助手フェイ・マーティン・タリスの冒険譚。前書き:編集ノートによるとワトスン役のタリスが書いた本は27冊にも及ぶという、壮大なお話。(1994年の本作以降、マール続編は翻訳されていないので残念至極なお話)
 マールとタリスの出会いのこの作品は、はタリスの死後に発見された草稿たっだ。なんと奥深いプロットでしょうか。そのうえ作者アビィ女史はタリスの姪にあたるそうで…。
 マールの母アイリーネ・アドラーこそは、名作「ボヘミアの醜聞」でホームズを奔走させた人物で、このアメリカのアルト歌手との逢瀬は親友ワトスンにも秘密にされ、彼女の妊娠は本人の意思によりホームズに知らされることもなくイギリスを去ることに…。
 アイリーネは弁護士:ゴドフリー・ノートン氏と結婚、その後早世。マールは父:ノートン氏の育てられ、うすうす出生の秘密をしっているらしい。

 プロットを書き出すだけでブログ1週間分は必要みたいだ。とにかく綿密に編みこまれたホームズ2世の出生の秘密は、小説の最後のHappyEndへの味わいを深めるものです。

 ともかく探偵マール女史の描写が面白い。どうも鬱病を持病にしてして論理的なんだが突発的に行動をしてしまう、ホームズの血を受け継いだ変人扱いだ。ファッションセンスもエキセントリックで、どうも美形ではないらしい。可愛げのない言動だが、なにげに愛しく思えてくるのはホームズ2世の人徳か?

 お勧め度:何はともあれホームズものの御仁には星4つ。

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俳句入門-千夜一夜

Touta  芭蕉の時代に始まる俳句と言う文学。万葉集からなじんだ短歌に比べて、難解で高尚なもののようで気後れしていた。

 日本の文化に延々と流れる五七調のリズム感。僕ら昭和中期の世代には、島崎藤村や石川啄木の国定教科書にはじまり、三好達治の詩歌につながって、何故かフォークソングの歌詞カードに終焉するものだった。

 現代的には、万流川柳からサラリーマン川柳等の標語文化に変わってしまったもの。少なくとも新聞の文化欄に特定の愛読者を対象にした投稿記事が続いている。

 ところが最近NHK-BSTVを流し観ていて、感嘆した。それは俳句講座ではなく、句会の季題提示の闘句ともいうべき実演バトルである。有名俳人をゲストに素人はだしの一般投稿者が五六人輪をなして、お互いの句に点数をつける。

 不思議にゲスト俳人の句に票が集まるかと思いきや、学生明けの若者の斬新なものに足元をすくわれたりするのが面白い。

 先日の放送で、ケチばかりつける愛想の無い爺ぃのゲスト俳人には笑った。あとで紐解くと、重鎮=金子兜太(とうた)だと分かった。主演者は笑えないはずだ。

 半レギュラーっぽい出演者のなかには、文筆家や芦屋のセレブマダムに加えて、定年したサラリーマンや生意気なAD娘まで取り揃えられてて、客観的にも面白い。TVフリークにはオススメです。

 そういった縁も感じてか、俳句入門本にハマッテイル。次回は、現代俳句の歴史に注目。

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ほぼ毎日ブログ宣言!

 エディタと言うブログコミュニティに登録しているが、登録しただけでなんらアクションをしない最低のブロガーだと自認、反省している。

 4半世紀に一度あるかないかの皆既日食の日に、誕生日を迎えて53歳になった。ブログやメールに、エディタ関係から祝ってもらって感激してしまった。

 最近は得意だった文章も吃音がちになってしまって、まとまりにも欠け自身を失いつつある。しかしこう言ったものも習慣や訓練なのだと、自分で勇気付けるしかない。

 映画鑑賞も読書も、ある程度は重ねてはいるが、感動も長続きしない所為か文章にならない。人生に覇気を失ったようでつまらない。

 そこである程度はノルマ化して、自身にプレッシャーを掛けて見ることにしよう。「ほぼ毎日ブログ宣言」と謳ってみても、大した事はかけないし大層なことでもない。

 それでも一日にひとつくらいはイワユル「琴線」に引っかかる事象があるだろう。それが路傍の石のようにつまらないものでも、記憶と軌跡の足掛かりにはなるだろう。

 つまるところ「50歳の手習い」である。

 ブログは今のところ2つも持っているので、交互になるか、どこかにまとめることになるのかもしれない。ほぼ見切り発車ではあるが、この誕生日を記念日にしたいと思う。

 皆既日食のNHK特集ニュースをついつい見ていて、はたと気づいてしまった。深夜放送枠の海外ドラマ「HEROES/ヒーローズ」のイントロは、そのものズバリの皆既日食とダイヤモンドリングだったんだ。恥ずかしながら、御年になってはじめて見事な天体ショーに魅せられてしまった。

 「日食マニヤ」も侮れませぬ。

 次の皆既日食は20数年後? 生きていれば、夫婦でクルージングに参加と洒落込みましょうか?

Heroes

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PLUTO8

Pluto  ついに完結、浦沢直樹の『PLUTO』

 手塚治虫原作・鉄腕アトムの「史上最大のロボット」の大幅焼き直しは、手塚眞監修の元、浦沢直樹+長崎尚志の最強タックが仕掛けた、昭和40年代の旧き良きものへの郷愁なのです。

 NHK「プロフェッショナル」でクローズアップ現代された? 相棒=長崎尚志。

宮城県仙台市出身。幼い頃から家庭の都合で名古屋、東京、横浜、金沢などを転々とする。1980年大学卒業後、小学館入社。1994年7月~1999年7月『ビッグコミックオリジナル』の編集長を務める。その後、小学館を退社し、フリーの漫画編集者に転身。以降、漫画原作者としても、東周斎雅楽(とうしゅうさい がらく)、リチャード・ウーなど、複数のペンネームで多数の作品を手掛ける。(Wikipedia)

 あとがきの長崎言に、広島時代という話があるぞ! 1956年生まれのこの同級生は広島のどこで雑誌「少年」を求めたのだろう。

 僕は裕福な家庭の同級生の子供部屋で、「サイボーグ009」と同時に一気に読み込んだ。その同級生とはその季節だけの付き合いになったけど、漫画・アニメとの付き合いは40年経た今でも続いている。

 生き返ったアトムが挑むプルートゥとの最後の戦い。盛り上げすぎた謎の怪物ロボットの明かにされた全体像は、石の森章太郎の描く初期の「仮面ライダー」みたくてショボッ! しかも強力な角エネルギーも発揮せぬ間に、いい人で大円団。(これネタバレではないよね?)

 それでも良いのだ。いい夢を見させてくれたスタッフに只只、感謝の一言です。

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祝!直木賞

Sagiyuki  緊急コラムです。

 第141回直木賞に、北村薫先生の『鷺と雪』が受賞。

  なんと言っても6度目の候補なので、さすがに今回はと祈ってました。

 最大のライバル「鹿男あをによし」の万城目 学君だったとか? まだまだ若いものには負けませんよ。

 ベッキーさんシリーズの第3弾しかも完結編で勝たねば…

 文芸春秋社刊の『街の灯』が2003年。2007年『玻璃の天』で第137回直木賞候補。そして今回の快挙です。まあ各出版社(とくに東京創元社?)やらのお付き合いもあるので、直木賞一本絞込みというのも先生らしくはありません。

 残念ながら受賞作品を読んでいないので、詳しい感想は書けませんが、文庫本になった暁にはと楽しみにしましょう。

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さらば長き眠り

Hararyo さらば長き眠り (ハヤカワ文庫JA)

 原 尞(はら りょう、1946年12月18日 - )本名は原 孝。佐賀県鳥栖市出身。九州大学文学部美学美術史科卒。大学卒業後上京、ジャズピアニストとして活躍し、その後帰郷し執筆に専念。1988年に、『そして夜は甦る』で作家デビュー。翌年第二作『私が殺した少女』で直木賞受賞。九〇年『天使たちの探偵』(短編集)九五年『さらば長き眠り』とシリーズを書きつぐ。9年休んで、『愚か者死すべし』2004年に刊行。稀に見る遅筆作家ではあります。

 それにしても変わった経歴の持ち主で、現在でも鳥栖の兄が経営するジャズ喫茶を本拠とするアマチュアバンドでピアノを弾いているらしい。長編を4作と短編集1冊、そしてエッセイ集1冊が全作品という「体たらく」な作家。まあ第2作でデビュー早々に直木賞を取った遅咲きの名文家には違いないのですが、読者を待たせるにも限度がある。もしかしてジャズピアニストとして収入に困らない2足のワラジ履き、咥えタバコでクールに極めてるのかもしれない。

 西新宿を舞台に活躍する探偵=沢崎を主人公にしたこのシリーズは、本人の注釈に従えば「レイモンド・チャンドラーに敬意を表した」P・マーロウを模した本格のハードボイルド小説の王道を行くものです。取り巻きの準主役的脇役達、新宿署捜査課の錦織、いる暴力団幹部の橋爪、探偵事務所の創業者で行方不明の渡辺と癖のある面々との男臭いやり取り。チャンドラー譲りのカッコイイ台詞まわし、どれを取ってもこれどHBなんですが、どこか新宿鮫の大沢在昌やTV映りの逞しい北方謙三の大御所とは違った雰囲気がある。

 以前に紹介した純文学くずれの長崎は諫早在住の作家・佐藤正午に似たアイロニーやニヒリズムの文体。映像作家以上に研ぎ澄まされた小間物の描写や伏線。「推敲の作家」というの評価が高いのも肯けます。とにかく洒落っ気のある文章です。
 確かに探偵=推理といった範疇でのプロットについては、多少荒削りですが、そんなことは別にどうでも良いと思わせるほどの、愛すべき登場人物達の出現です。

 と不思議なことに主人公・沢崎の下の名前が、今もなお不明。北村薫の「私シリーズ」の再来か? なんと奥深いものですな、小説家と言う種族の仕掛けは……。

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