十日間の不思議

Ellery 十日間の不思議(Ten Days' Wonder)
エラリイ・クイーン:著
ハヤカワ・ミステリー文庫 青田勝:訳

 アメリカはニューイングランド地方の架空の町=ライツヴィルは、クイーンお気に入りの事件の舞台です。初出は『災厄の町』、出版時期では本作の後になる『フォックス家の殺人』。その後も20年に渡って存在を主張したミステリー界では有名な町でもあります。

 時代は第2次世界大戦後、対戦前のパリで親しくなったハワードが、10年振りにエラリーのニューヨーク市マンハッタン西87番街のアパート最上階に突然現れる。19日間の記憶喪失と負傷した姿で、その上にハワードの実家のあるライツヴィルに来てくれと依頼される。クイーンにとって奇妙な翻弄される10日間が始まる。

 
 この作品の不思議さは、殺人が最後まで起きないことと登場人物の少なさで、一種舞台の心理劇の様相を呈しています。いつものクイーン刑事父さんも出番がありません。ライツヴィルの街の顔見知りは脇役で光ってますが、終始ヴァン・ホーン家のハワードを含む4人に語らせます。

 現代推理で言えば、本格モノの倒錯トリックの王道を貫いています。アナグラム(文字の並べ替え)や逆転トリックと最後まで緩まないロジックが明快です。
 勿論、ストーリー的には相変わらず「こんなヒトは実際居ないだろ」の架空世界ですが、読み物としては完成形。ダネイとリーの従兄弟作家が、脂の乗り切った時期の作品です。

 さてさてエラリー・クイーン(Ellery Queen)と言えば、バーナビー・ロス名義で、聾者の探偵ドルリー・レーンが活躍する4部作、XYZの悲劇シリーズでも有名。
 僕的には、探偵としての性格の明確なドルリー・レーンの方が好ましい。
 若き日のエラリーはどこか生意気で鼻持ちなら無いし、歳を負う毎に冷静さを売り物にしますが何処か人生に蓮っ葉で、性格的にお坊ちゃまで終わっています。
 アガサ・クリスティが創出した稀代の探偵、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot)やミス・マープル(Miss Jane Marple)の実直さに及ぶべきもありません。

 刑事物ではない探偵で言えば、G・K・チェスタートンのブラウン神父、ディクスン・カーのアンリ・バンコラン、ドロシー・L・セイヤーズのピーター・ウィムジイ卿などと海外ミステリーでは伝説のヒーローですが、なかなか存在感を発揮するのが難しいようです。
 日本の作家達の方が、探偵自身の性格描写は優れていると思います。金田一耕助も御手洗潔も犯人より際立って個性的です。

 そもそも私立探偵の活躍という設定自体に無理があるわけで、事件への介入を毎回巧みに工夫してるつもりが、日常的にトリック殺人が起こりうる理由も無い。そこは読み物として、又は水戸黄門さまのお約束事として軽く受け流す度量が、読者には必要なのです。

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太宰生誕100年

507dazai  太宰を嫌う人の理由に、「品行が悪い」「女々しい」「だらしない」と言った負のイメージが多いのは仕方ないことか? それでも熱狂的なファンはどの世代にも居る様で、6月19日 誕生日であり入水自殺体発見日には桜桃忌(おうとうき)として、墓のある三鷹の禅林寺は大変な賑わいのようです。期せずして、向かいにある墓の主:森鴎外も鼻白む思いだろうと…。

 太宰 治(1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日)、本名は津島修治。青森県北津軽郡の金木村生まれ。生誕100年は肯けるが、38歳で早世していたことに驚いた。あの老け顔や、処女短編集『晩年』ってのも印象を狂わしている。思えば芥川が35歳で服毒自殺、宮沢賢治が36歳で急性肺炎で亡くなってるから早世という歳ではないのだ。

 今で言う地方素封家出の甘えん坊の放蕩息子は、文学的には非常に老成していたわけです。放蕩息子の類に、山口の中原中也や新潟の坂口安吾がその時代を交えて存在する。僕の中では「大正デカダン」=無頼と退廃とがアヴァンギャルドへと向かう、純粋な文学回帰の時代でとても好きなのだ。

 
 太宰人気を映して、今年は相次いで公開される映画化が3作。
 その内の「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」がモントリオール映画祭で監督賞を受賞。根岸吉太郎は「遠雷」=立松和平原作で認められた監督。小説の映画化は得意の様で、太宰ものも若い頃の手掛けている。白髪の良く似合う老大家になってきた。おめでとうございました。

 その他に、佐藤江梨子(さとえり)主演の「斜陽」と芥川賞作家 川上未映子が女優デビューの「パンドラの匣」。どれも個性的で面白そう。2009太宰3部作でDVD化されると嬉しいかも…。

 太宰を深読みすると、たまに船酔いと同じ気分を味わう。文脈の流暢さはハッキリ漱石を超えてると思うが、その自虐さには辟易してしまう。ウンザリしながらも引き込まれて、決めの文句で絶句して泪している。これがいけない。太宰は癖になる。
 主な作品は読んでしまったので、後は全集の書簡集を漁るしかあるまい。

 謂わずと知れた太宰の娘、津島佑子:本名は里子(さとこ)もすでに日本を代表する小説家である。分筆に世界に親の七光りもないだろうし、女流として本格の純文学者一筋である。歳を負うごとに父親の面影が、顔に出てくるのは哀しいことかもしれない。

 太宰は人生の大半を、薬物中毒症状で苦しんだ。慢性的な躁鬱を繰り返し、その合間にモノにした作品にも濃い影を見ることができる。精神科の主治医に「サイコパス」とまで言われ、結果「人間失格」などと直截な題名の小説を、赤面勝ちに書き上げた。挙句の果ては冗談まじりの狂言心中が、3度目の正直になった哀れさの追い討ちであった。

 遺作になった連載中の「如是我聞」には、口惜しい男の女々しいほどの文学への遺恨が満ちている。愛しくてイトヲシクテ、泣かずに読めるか!

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童夢

Dohme  大友を一言で言いあらわすことは、とてもできない。

 大友 克洋(おおとも かつひろ、1954年4月14日 - )漫画家、アニメ映画監督。宮城県出身。1973年『漫画アクション』にてデビュー。均質な細線で緻密に描かれた背景画に、決して美形と言えない等身大の主人公たち。それまでのデフォルメ劇画の域を逸脱したコマ割りと構成力。1979年、初の単行本となる自選作品集『ショートピース』で、戦後生まれの能天気な青春を切なく描ききった、この同世代の異色の漫画家は、あっと言う間に漫画界を去り、アニメ映画監督の世界に飛び込んでしまった。

 2007年の実写映画『蟲師』で他人の原作漫画を、オダギリジョー主役で監督したのには驚いた。前作『スチームボーイ』もメジャーな放映権を獲得できず、アニメ界でもカリスマ化されたゆえの異端児が、すこし壁を感じているのかもしれない。ただ青年期を映画漬けで過ごした経験から、彼が実写映画に魅力を感じるのは当然の成り行きでもある。

 フランスの漫画界にジャン・ジロー(Jean Giraud、1938年5月8日 - )というアニメ界でも有名な人がいるのを最近になって知った。

 宮﨑 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )との交友もあるらしい。ペンネーム:メビウス (Moebius)その人の影響は、現在の若き漫画家たちにも多大にあるようだ。『ピンポン』の松本大洋あたりの筆致はまさにメビウスそのものである。 大友自身もファンであることを明言し、逆にメビウスからは大友の『さよならにっぽん』に賛辞を寄せている。

 大友の映画界での歩みを見るに付け、メビウスを志していることを痛切に感じる。残念なのは今、世界を席巻している日本アニメ・オタク系とは完全に一線を引いた彼の作風が、あくまで芸術的な短編アニメのモードでしか理解を得られないことだ。代わりに作品「AKIRA」は一人歩きをはじめ、ハリウッドで映画化などと野卑な扱いを受けつつある。

 経歴を見ると歴然とするのだが、大友は独学の漫画家である。当時は当たり前のことなのに、近年の作家たちは明らかに著名な美術系の大学を出た基礎のしっかりした人が多いようだ。それは商ベースとしての漫画が社会的に受け入れられた証しには違いない。でも一抹の寂しさも感じるのは、僕らの時代の漫画はひとつの自己表現の手段であり、あきらかに文筆業の延長でもあったと思うからだ。

 ギター片手に歌を唄うように、筆一本、墨十一滴で世界観を表わすことに魅力を感じた世代があったのだ。 
 大友は今でも、そんな一面アウトローな時代を引き摺っている数少ない作家だと信じている。彼の画に何らかの批判精神があるのは明らかなのだ。
 

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ペイ・フォワード「可能の王国」

Pay_it ペイ・フォワード(Pay It Forward)「可能の王国」
キャサリン・ライアン・ハイド著 角川書店 2000年初版
残念なことに廃版のようで、古本か図書館に当たるしかないようです。

 同じ2000年に天才子役:オスメント君主役で、上映された同名映画をTV放送で観ていました。ハーレイ・ジョエル・オスメント君は、前年の「シックス・センス」で11歳にしてアカデミー賞にノミネートされた前途有望の少年でしたが、これも残念なことに成人を目前にマリファナ所持で保護観察処分を受けたようです。天才と呼ばれた子役に関して高い確率で、こんなことになってるのは日本でも同じ?

 
 それはさておき、原作を映画と照し合せて読む作業は普通つらいものですが、今回の場合は変に感動的でもあったのです。
 社会科の授業で「世の中をよくするにはどうしたらいいか考え、実践しなさい」と言う命題を出す中学校の教師に、映画ではシモネット先生(ケヴィン・スペイシー)の白人で、原作の黒人のルーベン先生を簡単に置き換えている。控えめな渋い脇役の多いケヴィン・スペイシーの演技は悪くはなかったけど、換える理由が分からない。ベトナム戦争で顔半面をひどく火傷して、その容姿を気にし心の闇を抱えた教師。生徒トレヴァーのアルコール依存症の母親(ヘレン・ハント)と惹かれ合う流れに、多少無理を感じたのか?

 どちらにしても主題のPay It Forwardの発想は明快で揺らぎが無い。古くからあるネズミ講やマルチ商法の概念に重なってくるのが難点ですが、ここはシンプルに「次に贈る」思想と考えよう。

  まず3人の他人に自分のできる範囲で為に成ることしよう。その時その人に、お返しの代わりに他の3人に同じことをして欲しいと依頼しよう。その先はネズミ算式にその善行らしいものが広がってゆくだろう。勿論、人間の絶対の善意に希求した理想の世界ではあります。どこの段階を切り取っても1から3への行為という本人次第の問題でもあるところがミソ。物語でも触れられていますが、一歩踏み出すことの難しさを学ぶことになります。一種の社会問題提起ですよね、これって。

 実際にこのPay It Forwardは社会運動として多少の広がりの見せているようですが、現実のアメリカ民主主義の破綻を見ても、まだまだ民衆に其の芽は難しい状況でしょうか?

 それにしても全体的に暗い社会背景が漂ってます。浪費と放浪癖のある父親(なんとジョン・ボン・ジョヴィが演じてました)との関係も然り、最初の依頼者の麻薬常用者は、本人の意に反して社会落伍者に逆戻り。孤独死をする老婆、アイデアを我が者にするヤクザもの。たどり着けないノンフィクションライターのもどかしさ。クリントン大統領にホワイトハウスに招待されたその夜、トレヴァーは最後の善行の目前で命を落とします。
 救われるのは、物語の中だけでも理想社会は確実に成果を上げ、世界に平和が訪れつつあると言うイメージで、トレヴァーの鎮魂際に数万の群集の灯すロウソクの明かりが満天の星屑以上に美しいというラストを飾ります。

 著者本人のあとがきには、ちょっと興醒め感がありますが、Pay It Forwardの描く理想世界の命題は、多分宗教や哲学の枠を超えて永遠のものだと思えるのです。

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懐かしのフォークソング

Kagawaryo  70年代のフォークソングの薫陶を直に受けた親父世代として、語りつくせないフォークシンガーと言えば何はさておき、加川良なのだ。

 中津川フォークジャンボリーで彗星のごとく現れた新人は、数年のうちにに伝説を築くことになる。
 ギター一本で語るように唄う、ボブ・ディランから始まる正統派フォークの流れを今も貫く頑なな、半ば時代錯誤の姿勢に嗚咽なくしては語れないオヤジであった。

 加川良(かがわ りょう 1947年11月21日生まれ )滋賀県彦根市出身。本名・小斉喜弘。久しぶりに検索をかけると、あるはあるは驚きの乱舞。いきなし…
加川良・オフィシャル・ホームページ

http://www5f.biglobe.ne.jp/~twins/contents.html
 
 還暦を越えてもかの歌声は健在のようで、どこかしこの文化会館で精力的にミニコンサートを重ねているようです。
 あの時代の反戦や山谷暮らしの叫びが、今の時代に共感されるどうかは去年の「蟹工船」の例もあるが多分に疑わしいが、ひとが切なさに口ずさむメロディは何時の時代も変わらぬ郷愁を求めているのだろう。

 代表作「教訓」はまさに、全共闘時代に背を向けたノンポリの、それでも言葉足りない軟弱世代に語りかけた名作であるが、このたびのお薦めは「下宿屋」であります。
 終世寄り添った師であり同士であった高田渡の京都の下宿生活を、訥々と吟遊したこの作品には、詩人としての繊細さと哀愁の歌声が満たされてある。
 
    一杯呑み屋を 出てゆくあんたに
    むなしい気持ちが わかるなら
    汚れた手のひら 返してみたって
    仕方ないことさ
    あせって走ることはないよ
    待ちつかれて みることさ
    ため息ついても 聞こえはしないよ
    それが 唄なんだ

 晩年の老師:高田渡の様子はNHK特集で、なぎら健壱や坂崎幸之助が対談しているので参考にしてください。彼が亡くなって久しいし、フォーク世代も一区切りしたような一抹の寂しさを味わったものだが、ここに来て数々のプレーヤー達のCD再販ニュースを聞くと「20世紀少年」アメリカ上陸並みにテンションが上がるというものだ。

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カメラ小僧になりたかった

Syagaku  昭和50年の初め頃は、カメラ小僧と化していた。別に3っつ上の兄貴が写真専門学校に通っていたという事実とは一切関係なく、多少は恩恵を受けていたけど…。

 雑誌で言うと小学館「写楽=しゃがく」の時代で、みーちゃんはーちゃんが綺麗なねぇチャンに憧れ以上の存在を意識していた頃だった。

 丁度その当時発売されるミノルタXシリーズは、今も多少面影を残すがやっぱり残念な存在=宮崎美子でCMを打ち、みごとにブレイク。ニコンやキヤノンが先行していたカメラ界を席巻してしまう。

 勿論、35ミリフィルム一眼レフカメラのお話であるから、多少マニアックになるけど。その後、ミノルタとキヤノンが切磋琢磨することになる、AF(オートフォーカス)技術の先進さは現在のデジタル化の始まりだったのだろうと、今になって思う。

 僕がお袋のへそくりで買ってもらった親不孝の記憶のカメラは、ミノルタのX700で望遠レンズまで揃えて2十数万円したと思う。ニコンのライカレンズ搭載機やキヤノンのF1:報道用が50万を超えていた時代のことなので、初心者中級機には違いなかったけど。

 モノクロのトライXフィルムやカラースライド用の高価なコダクロームを使って、つまらない写真ばかり撮っていた。ところが何をとってもピントが甘いし、建物をとれば直角が振れるといった撮影ミスが多く、視力の弱いのもあるのだが体質的に不向きなんだと分かったのは5年も過ぎた頃だった。カメラ小僧の挫折である

 その内、ソニーのムービーカメラの時代になり、コンパクトフィルムにバカチョンカメラ、格安現像の頃には熱も冷め、ひたすら買い替えだけのバブルなお話。その顛末が、デジタルカメラから携帯電話カメラへと大衆化してしまった今になる。

 マニアックで男の子の道楽的なカメラは、いつの間にかキャピキャピ娘に乗っ取られ、スナップ写真にしろブログ投稿にしろ、めっきり玄人はだしの画像が溢れている。

 でもこれは良いことなんだろうか?とも思うのだ。写真に肖像権はなくなり、瞬間を捉えたパラパラ漫画はどこまでも消費される時間の延長かもしれないが、それでも映像の持つ言葉を超えたコミュニケーションの力を目の当たりにすると、それはそれで有りのような気がする。

 図らずも最新カメラ=オリンパス・ペン E-P1には、現在の宮崎? 宮崎あおい女史がCMで意気を吐いている。

 次回があれば、もっとマニアックなお話をしましょう。

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夏の高校野球

 雨で2日間続けてノーゲームになった広島・如水館VS高知の試合。さすがに3日目は第4試合に廻されて、先ほど決着を見た。両試合とも、先攻して点を取れていた如水館のほぼ完敗。心身共に疲れきっただろう両校の選手達に、拍手。

 それにしてももう少し早めの、判断が出来ないのだろうか高野連。3日続けて甲子園で試合が出来ると喜ぶだろうと思っているんだろうか? 雨の試合で泥まみれになって、それが徒労になることの疲労感を、エアコンの効いた部屋の中で見ている老人達に理解できるのか?

 僕らの時代の甲子園は、広島の代表がよく頑張ってくれて毎年TVに釘付けだった。

 1973年の春夏と言えば、作新学園の怪物:江川卓をやっつけた広島商業の精鋭の年。「あのね、あのね」で超ブレイクいた達川光男捕手と(つくだ)投手のバッテリーに、不遇のアマチュア名選手:金光興二(現:法政大学監督)や後に自らも監督して広商を優勝校に導く川本幸生と言った面々。1955年生まれ、学年にして1級上の世代であった。

 1975年の1級下では、県立広島工業高校の小林 誠二投手が頑張った。広島カープに鳴り物入りで入団したが、あまりパッとしなかった。それでもサイドスローでカムバック、1984年のストッパーとして優勝・胴上げ投手になった。今はコメンテーターとして活躍している。

 次の年は、広島カープのショート:山崎 隆造が率いた崇徳高校の活躍。風邪ばっかりひいてファンを心配させた黒田 真二投手(元・ヤクルト)に、小川や永田が大活躍。春の大会で初出場ながら初優勝の快挙であった。捕手の應武篤良はその後、アマチュア野球界で1988年のソウルオリンピック野球日本代表に、現在は早稲田大学の監督としてハンカチ王子:斉藤祐樹を擁して、法政大学の金光監督と戦っている。

 なんといっても広商野球の祖とも言える、迫田穆成監督。名称も今年70歳の古希。無名の如水館を全国区にした功績はみごと。広商の精神野球を県内に広めている。

 ここの頃の高校野球は、金属バットへの変換期であって、投高打低の感は否めないが、地元出身の選手たちが故郷を代表して戦っていた。今は当たり前のように野球留学や選手集めが行われるし、高野連の高圧的な姿勢も鼻に着く。プロとアマの境界があいまいになるのは日本の野球の強化に欠かせないものとも思えるけど、少しガテンがいかないのであります。

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ホーン・マン

Clarkhoward ホーン・マン
クラーク・ハワード
光文社文庫 英米短編ミステリー名人選集2

 ほんに情報量の少ない作家で、検索記事に困ってしまう。アメリカはテネシー州メンフィスの近くリピーに1934年生まれ。生きていれば75歳になる勘定になるが、どうなんでしょ。
 連載された「EQ」と言う雑誌は、1977年末に光文社から隔月刊誌として発刊し、1999年7月号(第130号)をもって休刊したと言う。確かに「ミステリーマガジン」と並んで書店の棚に並んでた記憶がある。古本屋の棚にバックナンバーも有ったっけ? その頃全く興味の無かった僕には、隠された宝の山でしかなかったのです。

 本家『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(1941年にアメリカ合衆国で創刊)の正味翻訳本だったらしく、訳載不許可?の作品が増えたのが休刊の理由だったとか…。なんか恩着せがましい話です。

 それでも当時は、生の海外ミステリーが味わえると言う希少価値があったことはよく分かる。そして、短編の寡作作家=クラーク・ハワードを惜しむ声が、ファンをしてこの唯一無二の珠玉の短編集を編ませたのだと思うと感涙ものであります。

 表題作「ホーンマン」は、無実の罪で刑務所に入っていた若き才能あるジャズメンの出所の数日間のお話。切々とした語り口と貧困層の老人達の乾いた人情には、アメリカの歴史の暗い過去を感じさせます。
 名作「スカルプロック」では、抑圧されたアメリカンインディアンと騎兵隊の深く長い確執を語っても、そこに苦渋の愛があります。
 日本人をして感涙に咽させるこの憎いほどのストーリーテラーは何者なのだ。
 その後の消息も追えず、作品だけがポンと投げ出されて、まるでサリンジャーのように後ろ髪を引きずる作家の一人です。

 残念なことにこの短編集もすでに廃刊。古本市場か僕のように図書館で出会えるのを待つしかないようです。

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広島の暑い夏

Pmuseum22  8月6日が来るたびに毎年、さまざまな想いで本格的な夏を迎える習慣が付いてしまった。

 広島に生まれた者の背負わなくては為らない何かを感じ始めたのは何時からだろうか?

 若い頃は原水禁の平和行進にシュプレヒコールが毎年鬱陶しく思えて、折角の特別休日には海へ山へと街を逃げ出した。他県から友人が訪ねてくれば案内はした記念館も、普段は鳩の糞公害の温床と忌み嫌って近寄りもしなかった。

 普段の平日の平和公園は賭け将棋や囲碁のオヤジ達の溜まり場で、デートスポットでは有り得ない。お昼に近くのOLが、コンビニ弁当を広げるのは微笑ましくあるが、公衆便所の木陰には浮浪者のダンボールが積まれてある。

 今年の記念式典は、オバマさんの核廃絶宣言のお陰で千客万来の様相。朝8時から始まる放送で、献花が長引いて借り出された市の職員さんが慌ててる様子が映っていた。ここのところ国際の場に露出気味の秋葉広島市長も、10年前に比べて髪が薄くなり微妙な色に染めてるのが侘しい。

 知り合いのM女史は、今年も列席しているのだろうか。例年は陽炎立つ程の炎天下の式場に、苦行を強いられているようだと苦笑いの彼女も、今年のうす曇の垂れ込めた蒸し暑さに何を思うだろうか。

 亡くなってもう十数年になる親父の誕生日も、明治生まれの本人に了解もなく8月6日。ついつい齢を数えてしまう。終戦の数年前には、爆震地の中ノ島近くで総菜屋を営んでいたという我が家族も紙一重の震災者だったかもしれない。

 原爆の記憶を持った親戚も、指折り数えるほどの数も残っていない。僕らに残っているのは、なかば物見遊山で能美島から本土の親戚の安否を確かめに船に乗って市内に出た親父が、数ヶ月は語る言葉も持たずに早々に帰省したと言う事実だけだった。

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ヴィヴィッド・テクノロジー

Vividbook ヴィヴィッド・テクノロジー--->建築を触発する構造デザイン  学芸出版社刊 (2007/11)

 たまには、こちらのブログでも本職のはずの建築話をしよう。

 昨今の建築デザイン界がとても面白いことになっているのは、70年代生れの若手建築家たちの快走に加えて、それを確実に根っこで支えている若き構造設計家が沢山育っていることが起因している。

 デザインに関するアイデアやテキストは勿論大事だけど、それを実現可能にするテクニカルな論理の手法を提示しているのは、新しい船に乗る新しい船頭としての彼らなのだ。

 僕らの世代が建築を習った時代は、(彼らの生れた時代と何故か重なる)構造計算はまだ手計算=電卓と手書きリストの世界だった。コンピューターと言えば数十㎡の室温管理されたお部屋に鎮座するオフコンレベルの巨大なロッカーの群でありました。

 確かに理論としてのベクトル解析手法=地震波振動も習ったが、薄靄のなかの記憶でしかない。そんな戯言は雲の上の仙人の所業と、きっと教師も思っていたはず。

 さて今この世代にとって、ベクトル解析なんぞは赤子の手をひねる程度の入門であって、複雑な数百に及ぶ公式すら飛び越えて、感覚的な構造センスと高速PCのプログラムを簡単に乗りこなすテクニックを併せ持つ、バケモノと化したのだ。

 正直、建築に関する基礎ベースのところで取り残された感のあるわれわれ世代としては、突拍子もない70年代生まれの建築家の神をも恐れぬ数々の所業は、反面うらやましくもあるのだ。

 暇を持て余した挙句、最新構造解析のお勉強を始めてはいるが、さっぱり暗中模索に近い。限界耐力、変位応答計算、バネ係数にFEN解析などと、奥歯にモノが挟まったような言葉だけの浮遊に立ち向かうしかない。

 それもこれも時代遅れのD値法に犯された脳髄が、悲鳴を上げながらまさに断末魔の様相を呈しているのだと勝手に理解。多分、われわれの思考の範囲は不自由なルネッサンス以前の宗教的呪縛のように頑なであるのだ。それをまた恋おしむようでは、お先真っ暗である。

 テクノロジーとは、人知の予測をいつも超えるものらしい。而して、そこに愛はあるのか? 田舎の椋鳥ほどの鳴き声でしかない。

 

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